笛と語りと絵本の会 ~宮沢賢治


語りとうたの菊地彩さんよりお誘いいただき
即答で『行きます!』とお返事させていただき
彩さんと、雅楽奏者の中村香奈子さんおふたりによる
「笛と語りと絵本の会」。
会場となる赤羽の青猫書房さんへ行ってまいりました。
 

中庭に小鳥や蝶が飛んできて・・青猫書房さん、素敵なところです。

 
前のめりに即答させていただいた理由は
前回冬にひきつづいて
今回も賢治の作品をテーマに開催されるとのことと、
何より賢治の作品の中で私が最も敬愛している
「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」を
今回取り上げられていたこと!
 
彩さんと香奈子さんの世界に「虔十公園林」が・・
もうそれだけで胸がいっぱいになりました。
 

 
前回の会では、
彩さんの体現による幻視著しく
会場には岩手の息吹運ぶ山が出現。。
香奈子さんの笛の振動がまたなんともあり得ない世界へと導き
おふたりの静かで確かな熱量に押されて茫然自失。
すっかり別次元の人と成ってしまいました。。
言葉にはとても表しきれない世界でした。
ほんとうに。。賢治のことならば、こういうの視たかった。。
ほんとうに。。感謝の気持ちでいっぱいで、魂が満たされる思いでした。
 
そのようなことがあったものですから今回の期待も膨らみます。
 
 
鈴の音色と星めぐりのうたで場を調え、
それにつづいて注文の多い料理店の序を
まるで祝詞のように語る彩さんが
まるきり神おろしと神迎えをされているように見えました。
 
そうだ、彩さんと香奈子さんのこのお二人の会が
なにかとてもつもない異次元を引き出すのは、
ここに賢治さんがこられているからだ、と気づきました。
  
彩さんはもう賢治さんが視ていた先の世界に息づいていました。
 
これは語り・・というくくりには収まらない。
 
いいえ、そもそも語りというものは
多くは忘れられてしまっていたけれども
本来こういうものではなかったか。
洞窟のなかで
純粋なこころで
音と
言葉で
共鳴しあい
繋がるもの。
 
賢治が愛したドヴォルザークの「新世界」より
賢治作詞による歌を彩さんがうたう。
香奈子さんが奏でる。
場のエネルギーが左に回りだし
どんどん上昇してゆくのが分かりました。。
 
白く輝く太陽の光の振動世界
深い藍色に澄んだはてしのない銀河世界
 
 
 
それから・・やがて
虔十公園林。
  
彩さんの語り。
そして香奈子さんの笛、「林歌」。
 
ああ
これは愛された大地の女神のお話だったんだ。

初めて気が付いたのでした。
 
虔十にいのちかけてこんなに愛された大地は
永遠を手に入れる。
虔十が死んだあともずっとその土地の人々に愛されながら。
 
ああ、そこに住む人に愛されてない土地は悲しい。
私が50年近くも住んでいた東京の土地は
住む人々に愛されてなくかなしかった。。
 
さまざまな思いが胸に浮かびます。
 
虔十が植えた
ちいさいけれど
それはそれはうつくしい杉の林が
光をまとい、雨を滴らせ、
すべての傷をいやし
愛された大地の女神がすべてを許し愛しているのを感じて
何十年の歳月をかけてもいまだ土地の人を包み込み
心をほどきあたためるその姿に・・
こころがふるえました。。
 
 
そのあとの彩さんの雨ニモマケズの語りが
賢治さんそのもので。
これもまた、
ああ、これは、
この言の葉たちは、
でくのぼう、というのは、シリウスの筒なのだ、
という深い理解が降りてきたのでした。
ですから、何か、これまで
この有名な詩片は
本意とは異なった使われ方を。。誤解を。。
されてきているようにも感じました。
本当は、たましいの世界からこの地上に降りてきたシリウスの筒なのだ、
そう思ったのでした。
 
 
彩さんの岩手なまりで語られる賢治さんの言霊の数々は
まるで水を得た魚のように
きらきらと背びれ翻して
銀河の川を泳いでゆきました。。。
 
 
ことばにはできません。
ことばにできないことを
むりにことばに書いてしまいました。
書ききれないこともたくさんあります。
ですから、
この会の本当のことを
ちっともお伝えできていないように感じます。
 
けれど
心がふるえてふるえて、
すこしでもいいから何か書き残そうと思いました。
数日前の事なのに、
この心のふるえに乗って
いつでもあの時空に還ることができます。
 
まるでなつかしいみなもとの家に帰るように。
 
そんな場所を作ってくださった
彩さん、香奈子さん本当にありがとうございました。
 
ほんとうの賢治さんに会わせてくださいました。
感謝の気持ちでいっぱいです。