
ヤマトタケルが来ているので彼にまつわることを少し書いてみましょうか。
古事記に登場するヤマトタケルの相模湾周域の逸話といえば弟橘媛の入水により
大荒れの海を鎮めたと言うものがありますが、
このことについてののちの伝承のされ方があまりに悲劇扱いされてしまったことを
弟橘媛は心外に思っておられるようです。
後付けで『悲劇』だというエネルギー振動をつけられたことにより
彼女の竜宮の巫女としてのお働きが変質したものになってしまっている。
これも『知らない』ということによる封印の蔓延。
本質を知ることが如何に大切かを伝えてきています。
そもそもが弟橘媛は竜宮の巫女ですから
七色の泡に見立てて海中を行く船に乗りわたつみへとお伺いに行かれたのでした。
そして彼女の申し出はわたつみに通り海は凪いだということです。
竜宮へと還っていく弟橘媛の姿をヤマトタケルは海上から
ただ見つめていました。
古代シリウス人=「八真人(ヤマト)」であるヤマトタケルはこの時
宇宙システムに則ったこの一連の出来事をかなり高振動のエネルギー状態で
受け止めていました。
誤解を恐れずにいいますれば、
つまり感情というものが一切介入しない高次の自らの存在を呼び覚ましておりました。
そう、ヤマトタケルご自身も霊的な力の優れた人物でありました。
ですから弟橘媛が竜宮へと還って行く姿もそしてその意味もよくわかっておりました。
しかしながら、弟橘媛をそうして見送ったものの
物質次元に残ったヤマトタケルは彼女を失ったダメージがあまりにも大きかった。
霊的な国造りを担う最も大切なパートナーが傍にいないままこの先を生きねばらない。
その時の彼の痛手が手にとるように伝わってきます。
私としてはそこに引っかかってしまうと、
今生でやろうとして生まれてきたことの軸がぶれてしまうので、
(はっきり言って『今それをやっている場合ではない』ということ)
そういった事実があったのね、という程度でスルーしています。
さて。
ヤマトタケルは伊吹山で大きなダメージを受けてそれが元でなくなります。
伊吹山へ入る際に、自らの分身とも言える「天叢雲剣」を宮津媛のもとに置いたまま出かけてしまうのです。
記紀ではそのように記されています。
この時の彼の心情にアクセスしてみると
『もうこれで終わりにしよう』と決心した感情が流れ込んできます。
もうこれで長い今生の旅を終わりにしようと決めたのだから
剣は姫の元へと預けたのでした。
この物質界のステージで行うことは済んで、彼の魂は次のステージへと引き継いだのだということを
受け止めた宮津媛は天叢雲剣を受け取りました。
剣は武器ではありません。
霊的なエネルギーを扱うご神具です。
「天叢雲剣」は「アロンの杖」と同じ働きをするものだと感知しています。
ですからこれらで水脈・竜脈を見つけることもたやすくできるわけです。
少し書き方がランダムになりますが
ヤマトタケルが授かったのは、天叢雲剣だけではありませんでした。
その当時の農耕器具、鎌や斧のようなものも授かっておりました。
ですから一部の地域ではヤマトタケルは農耕の神様としてお祭りされています。
有名な焼津での場面。
野に放たれた火に囲まれたヤマトタケルは草を凪いでその難を逃れたと言います。
その草を凪ぐのに使用されたのが天叢雲剣だと伝えられたため別名を草薙の剣というわけなのですが、一部の伝承からは、この時ヤマトタケルが草を凪いだのは鎌だったのではないかとも言われています。
ちなみにヤマトタケルは双子で生まれています。
彼の母が里帰りして産んだという伝承がありその場所は兵庫県の加古川です。
加古川の日岡神社の絵馬には、
ヤマトタケルの双子の兄弟が産盥で洗われている様子が描かれています。(上写真)
加古川にはこの石の盥の遺跡も二つ、のこされています。
兄は大碓命
弟は小碓命。
双子の出産は大変な難産で父の景行天皇は
背中に碓を背負ってぐるぐる左回りに歩き回って
安産を祈ったとここ地元では伝えられており興味深いです。
出産時の洗礼。
碓(臼)。
そしてヤマトタケルの母君「播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)」。
ここ加古川に興味深いキーワードが揃っています。母方は渡来民族であり、その当時の例に漏れず王族、あるいはかなり高い身分であったという可能性が高い。何しろ景行天皇の正妃ですから。
「ヤマトタケル」は役職名です。
大碓命も
小碓命も
そして景行天皇も
この役職を担いヤマトタケルと呼ばれていたというのは
調べていくと想像に難くありません。
そして大碓命と小碓命が双子であったことはキーワードで
おそらく兄の大碓命は主に水面下での活動を
そして弟の小碓命は記紀にも記されるような表立った活動を
されていたように思われます。
また特に九州地方では父の景行天皇の足跡を追うように
ヤマトタケルが結び直し・地固めをしているようにもみれます。
この辺りはわたしもこれからまた九州に飛ぶこともありますから
追々わかってくることとなるでしょう。
ところで大碓命は古事記では不自然な形でなくなったことになっていますが
これは上記しましたように表舞台から身を引いたということですが、
彼の印として「左利きであった」という伝承があります。
これも大変興味深いところで、
大碓命は左利きの鎌を持っていたと関東以北のある地域では伝えられています。
私もつい先日、王様の古墳の近くの土地を自由に使わせていただけることになり
そこの草刈りように左利き用の鎌を購入したばかりでしたのでびっくりしました。
分け御霊とはこのようなことが起こるのだなあとつくづく思うのでした。
他にもまだまだ書きたいことはありますが
またそのタイミングが巡りました時に。

