伊勢神宮に納められているという三種の神器のうちのひとつである
八咫鏡。
古代からの土地土地の口伝や現代に残る物証とを合わせて
古代祭祀に関して書かれた文献などを読んでいると、
伊勢神宮に収められているこの鏡は
すでに粉々に壊されている可能性が高いとみられている、
というある一説が深く心に残っている。
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毎年5月に開催させていただいている
ギャラリーアルカさんの個展ではいつも
その年全体のテーマとなる言葉が
個展開催の前年の年末頃に降りてきて、
それをそのまま個展のタイトルテーマにさせてもらっている。
この降りてくる言葉は、
個展のみならず世の中全体のテーマにも連動していることに
ある時から気づきました。
今回も去年末の冬、
「かかみ」
と
「みらいからきてみちのかこをつくる」
と降りてきた。
「かかみ」に関しては要は鏡であることは分かっていたものの、
なにか言葉一文字が欠けていることが分かって、
しばらく探っていました。
結果は、すでにつけましたタイトルのとおり、
「ミカカミ」と成り、
後付けで調べてみたら、
ミカカミ=御鏡 とは八咫鏡をさす言葉だと知りました。
私の内に降りてきたのは、
カカミということばの
”特に2番目の「カ」を大切に発音するように”という指示でした。
最初の「カ」は陽光
二番目の「カ」は月光
最後の「ミ」は霊的な力による統合と調和のこと。
後で調べた古い書物に
そんな言い伝えもあると書かれているのを見つけました。
陽光と月光。調和と統合。
本日個展初日の5月1日は折しも新月で、
本来見えない月が太陽を食することで姿(影)を顕す日食に当たりました。
雨ですが・・
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セオリツヒメの伝承のひとつにこういうものがあります。
天の岩戸に隠れた天照大神は、
人から見られること・人の評価を気にされて岩戸にお隠れになった。
天照はもっと立派であるべきなのに、
そうではない、
自分の内に弱い部分があると気づいてしまったから。
けれどそれは人からの評価ではなく
天照大神御自身が、「人からこう見られているに違いない」という
御自身のなかで作り上げた「実在しない他人の目」を気にしての事だった。
じっさい他の神々は、
天照が立派でないとご自身では思っている点も、
彼女の愛らしさと受け止められておいでだった。
そのことがわかったとき、
天照は粉々に砕け散り
輝く粒子となって地上に降り注いだ。
この粒子となってふりそそぐ女神はセオリツヒメと名付けられた。
地上に降り注いだセオリツヒメは、
地上のあらゆる場所から陽光の粒子の輝きを天へと照らし返す。
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この粒子となった天照~セオリツヒメ、
伊勢の粉々になったという伝承の八咫鏡とつながるものを感じます。
そして天照大御神のオオヒルメに対して
セオリツヒメ(系統)がワカヒルメとよばれる訳も。
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粉々になり完全変容する。
さなぎから蝶になるように。
(芋虫はさなぎの中でいちど粒子レベルまで溶解し
再編成して蝶になるのだそうです)
今回のテーマ「ミカカミ」がおりてきて、
そのとき作品はモザイクになるとわかりました。
技法的には、文化交流の派遣でスペインにおりましたので
かの国はタイルモザイクの文化圏だということで、
在住時は身近によく知り慣れ親しんだものではありました。
そして帰国後も二人のモザイク作家・職人さんとの出会いがあり
そういったことも今回の鏡のテーマ作品に繋がってきていて
本当に何一つこの地上で起こることに無駄がないと感じざるをえません。
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出展中の作品「ミカカミ」の鏡のモザイクは、
仕入れた鏡を制作のためにまず粉々に割りました。
割るときに用いた道具は、割りやすい金槌ではなく
『木槌で割りたい』となぜか思いそうしました。
木槌で鏡を割るあの動作
これは・・
「かがみびらき」
に、他ならないこと、後で気づきました。
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ミカカミ
粒子となり
完全変容
ミライカラキテ ミチノカコヲ ツクル
作品「ミカカミ」に写るご自身はどのように視えますか。
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言葉で書ききれないことは沢山ありますが、
これ以上わたしはここに深くは書かず、
これより先はみなさまの内に訊ねたり
探っていただいた方が楽しそうです。
今日の写真はこちら
ギャラリーアルカさんよりおかりしました。
https://twitter.com/GalleryArca/status/1520604611312119808
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◇gallery ARCA企画
MAJO個展
『ミカカミ -みらいからきて みちのかこを つくる-』
5月1日(日)~5月31日(火)
12時~18時 水・木定休
神戸市中央区北長狭通4-7-3-201
tel.090-6323-2037
https://atelierseed.shop-pro.jp