つれづれ

『人間の体は絶えずどこかが毀れている、
そしてそれを、絶えずどこかで治している。
毀したり治したりしながら生きているのである。
だから、治っているから健康であるとか、
毀れているから病気であるとかの区別はつけられない。』
by 野口晴哉
 

 
なんかこれを読んでいて
サグラダファミリアを思った。
新しく作りながらも、
100年以上前に建てた部分は壊れてきていて
だから常に同時に修復工事もしている。
大抵は新しく綺麗に造ったところへ目がいくのだけれど
修復することも必要で
全てがぴかぴかの完成なんてもはやない。
もしそれがあるとしたら
サグラダファミリアのある意味死だと言えるかも知れない。
 
それに、
新しく造る部分全ての建設が終了して
あの見慣れた工事の鉄塔が取り払われたら、
もうそれはサグラダファミリアではないと
(あの吊り橋のような鉄塔がなんとも
有機的な教会の尖頭に似つかわしい
危うさの魅力のようなものがあったので・・)
別の何かつまらないものになった、と
心のどこかは、そう判断しそうな気がしている。