復活

夕方。
うみのさんぽのかえりみち
何度もクリスマスシーズンの錯覚が起こる。
 
クリスマスシーズンのあの空気感、わかるでしょう?
あの空気感が何度もやってきて
クリスマスのちかちかの電飾が目の端に映ったりして。
 
なんだろうと思ったけれど
こういう時は氣のせいで終わりにはせずに
そのエネルギーの出どころ、真相を探るのです。
 
わかったのは、これまでのセマナサンタが終わったという事。
 
今年のセマナサンタは4月上旬。
スペインカトリックではクリスマスより大切な時期。
 
これまでセマナサンタは復活祭というよりも
キリストの受難という色が濃いものでした。
その色がどうも今年は変わるらしい。そう、クリスマスのあの空気感に。
 
つまり形骸化されてきた復活が
新しい地球で生まれなおし、本当の復活となる。
 
恐怖や不安で視えなかったことが視えてきます。
影は光であること
死は誕生であること
統合と調和の時代に入りました。
 

 
 

ことのまま

設定するとき
設定替え

ことのままに

少し前からきていたのは
「自分で選択した「今」がこれからどんどん拡大していく」
 
時間ができたらやろう と思ってたら 
これからは
『時間ができたらやろう』という状況がずっと続く人生が用意されている。
「時間ができる」はいつまで待っても来ない。
自分で設定していないのだから。
 
 
設定というのは、
『時は来きた。動くのなら今動く』
こと。
 
いま動かないのは、動かないと設定したことと同じになる。
ことのままに。
 
 
「今はできないけど」ならばその現状が続くことを選択したことになり
「今はできない」がどんどん拡大する。
 
「準備中」なら「準備中に費やす今生」がどんどん拡大する。
 
 
『もう2年間もあったでしょう』という声も聞こえてきています。
この2年間は贈り物でした。
 
*
 
一昨日、海の目の前に住む人が、
『いま1mmずれていたら、それはずれた道で、
その先どんどんずれていくでしょう、
それをいつも見ている。』
と言っていたことばと重なるように思いました。
 
*