イノセント

地元の医療センターの前を通りかかると、
現在町ぐるみのアートの祭典開催期間中と言うことで
医療センターの中でも何かの展示をしている様子でした。
 
ちらと覗くと係りの女性がどうぞと
案内してくださり
医療センター内の各部屋が
現代アートの展示室となっていました。
 
建物の二階では映像作品が各部屋で流されていて。
その中のひと部屋で
人形アニメーションの映像が流れていました。
 
最初は見るともなしに椅子に座りましたが、
どんどんその物語に引き込まれました。
 
舞台はどこか砂漠の回りになにもない
白い漆喰のぽつんと一軒家。
家のそばには小さな井戸がありました。
 
若いお坊さんが井戸の水を汲んでいると
どこからか黒い揚羽蝶が飛んで来たのですが、
その様子が不自然に重々しく
えたいの知れないもののように見えました。
 
若いお坊さんは恐怖に駆られて
井戸の水汲みのバケツの底で
その黒揚羽を押し潰しました。
バケツの底からはみ出た羽が
苦しそうにパタパタともがいています。
 
その様子を若いお坊さんの背後から
白い象がみていました。
 
その白い象は若いお坊さんの同居人でした。
象は一言も語りません。
夕食のときにたまりかねた若いお坊さんは
『あれは悪いものだったんだ。』と
白い象に言いました。
 
その翌日も若いお坊さんが
井戸に水汲みに行くと
またどこからともなく
黒い揚羽蝶が今度は群れて飛んできました。
 
若いお坊さんは怖くて次々にその黒揚羽たちをバケツの底で潰そうとしました。
 
その様子を白い象は何も言わずに見ています。
 
その日、揺れるろうそくの火の元で
若いお坊さんと白い象が夕食を取っていると、
ろうそくに揺らめく自分の影が
まるで何羽もの黒揚羽がたかっているように見えました。
 
若いお坊さんは恐怖に駆られて
椅子を倒して立ち上がり動けなくなってしまいました。
 
テーブルから落ちたお坊さんのコップを白い象が拾ってやると
お坊さんは震えながら
『大丈夫だ。僕は大丈夫だ。』と繰り返し呟きました。
 
お坊さんがその夜にみた夢は
井戸の前にたたずむ白い象に群がる無数の黒揚羽たちでした。
その無数の黒揚羽たちは、
お坊さんがバケツの底で潰した
黒揚羽の仲間でした。
白い象がこちらを振り向くと
お坊さんの胸の真ん中から
黒揚羽が一羽、胸を裂くようにして飛び出しました。
とても怖い夢でした。
 
翌日また若いお坊さんが
井戸に水を汲みにいくと
井戸の底は真っ暗で
まるで奈落の底のようでした。
気がつくとまるで悪夢の中のように
無数の黒揚羽に取り囲まれていることに気づきました。
 
若いお坊さんはもうなりふり構わず
次々にバケツの底で黒揚羽を潰しましたが
潰しても潰しても
黒揚羽はどんどん増すばかりに感じられます。
積み重なるおびただしい黒揚羽の死骸の中にふっと若いお坊さんの顔が埋もれて見えました。
 
自分の顔が見えた瞬間、悟りました。
若いお坊さんの目から恐怖の色が消え、涙がこみ上げました。
 
その瞬間にすべての闇が反転し
光輝くものとなり
白い砂漠の空間に消えて行きました。無数の黒揚羽の死骸もそれに埋もれた若いお坊さんも。
 
その消え行く様子を
背後から観ていた白い象は
その消えた方向に手を差しのべました。
 
差しのべたその手は
白い象の手だったはずでしたが
気がつけば若いお坊さんの手だったのでした。
 
若いお坊さんの足元に
一羽の傷ついた蝶が弱々しく
羽を震わせていました。
 
お坊さんは初めて、
蝶に手をさしのべ
両手で掬い上げました。
 
掬い上げられた蝶は
羽ばたきを取り戻し砂漠の向こうへと飛んで行きました。
 

 
短編の人形アニメーションでしたが
すっかりその世界に引き込まれました。
 
すべてパラレルの自分であることが
この作品の中に端的に描かれていました。
 
すごい作品だなぁと思いながら、
そのすぐあとに会った友人に
このお話をしましたら、
その友人はヨガの先生をしているのですが、
インドにそういう教えがあるのだと
解説してくれました。
 
黒い蝶は自らの恐怖。
深い井戸を覗くことは自分の深層心理を覗くこと。
黒い蝶は自分の心の中から生まれてくること。
等々。
 
絶妙のタイミングで専門のかたから
解説を伺って
まったくもってこの世界はすごいなと
マトリョーシカのような入れ子の世界を
目の当たりにした1日でした。
 
『夢も現実も自らが作り出す。
自らの内の闇がクリアになったとき
真実の光が生まれる。』
 
これは来年のキーワードとして降りてきているメッセージです。
闇とは本来クリアなもので何の色付けも先入観もないクリアな闇よりすべてが生まれてくる。
それは女性性であり
陰であり
純魄(磨かれた魄。純白の語源)であり。。
今月の茶会瞑想のテーマ『イノセント』とはまさにこのこと。
 
いま現実に
すべてがタイミングよく
立ち顕れてきていることを感じさせられる一連の今日の出来事でした。