昨年5月に訪れた磐座のことがまた立ち上がってきています。
土のシンギングボウルを顕現するにあたって背中を押された場所でもあり
土の弦楽器「わたつみ」さんの故郷です。
「わたつみ」さんは向津峰の磐座の大地のエネルギーと
諏訪の山の奥の母なる泉のエネルギーが合氣され、
産産しい誕生のエネルギーで成されています。
それは思えばどちらも縄文の、もしかしたらそれよりもっと古い
太古からのエネルギーの合氣でした。
宇宙的なものの顕現なので三次元的な時間軸では測れませんが。
こういった場所に呼ばれ、呼ばれたことで
じつはずうっともう昔からわたし自身にご縁のある場所であることに氣づき。。
地球に生きるということは憶(おも)いだすということなのかもしれない。
改めて昔見た舞台『ラ・マンチャの男』に出てくる台詞を想います。
*
『私はこれまでありのままの人生というものを嫌というほど見てきた。
……息をひきとる仲間を両の腕に抱いたこともある。
彼らはみな、うつろな目をして、
おれはなぜこうして死んでいくのかと私に聞いていたのではない。
いままでこんな人生なんのために生きてきたのかと私に聞いていたのだ。
ああ
人生自体がきちがいじみているとしたら、
では一体、本当の狂気とは何か?
本当の狂気とは?
夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。
現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。
だが、一番憎むべき狂気とは、
あるがままの人生にただ折り合いをつけてしまって
あるべき姿のために戦わないことだ。』
*
何のためにこの地球に生まれてきたのかを憶(おも)い出すことは
パンドラの箱に閉じ込められてしまった魂の救済そのものなのかもしれません。
そしてようやく、それを誰しも自らできる時代になったということです。