つれづれ

雨はざんざん 風はびゅうびゅうで
今日は農園さんに行けるのだろうか、と
思っていましたが
ほんの少しのあいだ雨風が止んだのを見計らって
山の農園さんへ行きました。

わたしは農園さんの奥にある
こちらの古いお稲荷さんが大好き。
対になっているふたつの大イチョウの間を抜けて
お参りさせていただきました。
 
お参りを済ませて畑の方へ戻ろうとすると、
ちょうど奥の畑から降りてきた農園のかたがびっくりしたお顔なさって、
『なにか動物かと思った!』と*笑
 
今年初めてのタケノコや、
端境期もそろそろおわりなのでしょうか
色々なお野菜を用意してくださっていて(感謝です*)
朝昼ごはんにはどんな風にしていただこうかと思うと
贅沢な悩みにワクワクしてしまいます。
 

 それから今日もヤマトタケルの湧き水に参りました。


最近はお社のそばの古い井戸にもご挨拶させていただいていて、
やはり人の氣が通ると場が明るい感じになります。
人が道を作る初めはこういう感覚なのかもしれないなあと
なんとなく思ったりしました。
 

たけのこは早速あく抜きをして、
農園さんのお野菜ではたっぷりのサラダ、
そして山で摘んだ野草の天ぷらを
朝昼ごはんにつくって、いただきました。
野草の天ぷらには、
ハルジオンとヒメジオン、これらの天ぷらは
自然の甘みがほんのりあって大好きです。
それからノビル、カラスノエンドウ、
そしてヨモギを揚げて一皿に盛りました。
一番上にドクダミの若い葉を揚げて一枚乗せました。
ドクダミの天ぷらは、
野草の天ぷら尽くしの中でもとくにお口直し的な感じの存在です。
 
さっきまで山にいたのに今は家にいるのが不思議な感じ。
家に戻ったらバイクをバイク屋さんに持っていき、
整備していただいたら、やっぱり快適な乗り心地になりました。
 
日々のささやかなことでも
すがすがしい流れに身を置けることのありがたさを感じています。 
 
 

陰陽統べる

今日は鎌倉に作品の原料を探しに来ました。
変性意識状態の中で視たものが、ここにあるような気がする、と
出かけたのでした。
 


ここ数日「陰陽統べる」という感覚が来ていて、
今日はその流れであまりにあからさますぎる出来事がありました。
その鎌倉の道々でのことです。
平日とはいえ、小町通りは観光客であふれかえっていました。
白人女性お二人の観光客が、
お店の人に英語で質問している内容が
突然耳に飛び込んできました。
その内容は、
陰陽のマークのものが何かないか?と聞いているようでした。
お店の方は、英語は分かるのだけど、
言っている意味が解らないという感じで、
思わず、陰陽の白と黒のマークのことを言ってるんじゃないでしょうか?
とつい助け舟出してしまいましたら、
そのお二人連れの外国人観光客は、
『あ!彼女は分かってるわ。そうそう、白と黒で丸くなってるものよ。』と。
お店の方にこういう陰陽紋で・・と説明するも、ご存じない。
別の商品を観光客のお二人にお勧めしだしていて、
まあ、それもいいわね、という感じのお二人でもありましたので、
私はその場を離れましたが、
私的にはいま来ているメッセージのまるで確認のような出来事でした。
 
その後、目的の原料もばっちり手に入り、
八幡宮に来るといつもお参りしている弁財天のお宮にお参りしました。
白い藤の花がもう咲いていました。

 
そしていつも人が込み合っている八幡様の拝殿には
お参りしないことが多いのですが、
今日はなんとなく呼ばれてる。
しかも『王者』とのキーワードが来ていました。
 
『王者』のキーワードは、
一番最近に王様の古墳に行ったときにも降りてきたものでした。
その時のメッセージは
『王として準備調ったものに、玉座を渡せ。』というものでした。
古墳からの下山途中に
これはどういう事なのかいろいろ考えてみましたが、
はっきりとはわからないまま、
大抵そういう時は無理に答えを探さず
そのうちわかるだろうと、そのまま忘れてしまうことや、
忘れた頃にわかることになりますので、保留としていました。
 
今日、その保留していたワードとともに
鶴岡八幡さんに呼ばれたのでした。
そこで拝殿にお参りさせていただこうと、
拝殿へと上がる長い階段を上ろうとしたとき、
ふと理解しました。

かつて大きなニュースにもなりましたここの倒木したご神木の所に
若くすがすがしい真っ直ぐなイチョウの木がすくすく育っておりました。

その若い木の傍らには、倒木し今は根の部分だけと成ったかつての
大きなご神木が沢山のひこばえをたずさえて、
まるで若い新たなご神木を見守っているかのようでした。

この大イチョウが倒木したことを、以前巫女舞のかたは
神様が入れ替わったしるし、とおっしゃっていました。
 
あたらしい時代に向けて準備調った若い神が降り立ち、
それまでここをお守りしていたかつての王は玉座を渡したのだと、
瞬時に魂に響くようにして理解しました。
今日はこのために鎌倉にきたのだなあと思いました。
 
鎌倉で今日手に入った原料は
キラキラと白銀色に輝く雲母に包まれたブラックトルマリン。
すべてが連動して動いている感覚がありました。
 


陰陽統べる。
 

帰り道、
『王道と思う道を通るがよい』と感覚に言ってくるので、
鎌倉に来ると色々寄り道しがちの私も今日ばかりは
八幡宮の拝殿からまっすぐ、
新しい魂の方々たちに道をお譲りしながら、
檀かずらでは
葉桜となってもまだまだ美しい景色だな、と眺めを楽しみつつ
帰途についたのでした。
 
 

セマナサンタ真っ只中

写真はスペインの私の故郷のセマナサンタ月曜日のお神輿より。
 
スペインカトリックに於いてクリスマスよりなにより最重要事項である
セマナサンタが先週末日曜日より始まりました。
この宗教的なお祭りは4月9日、次の日曜日まで毎日続きます。
 
semana santa/セマナサンタは
とくに南スペインで熱い伝統として今も生き続けています。
イエス・キリストのエルサレム到着から復活までの一週間を
毎晩お神輿の立体絵巻として語り継ぐ宗教的なお祭りです。

私が20代のときに初めてスペインに
約ひと月間のバックパック旅行したのも
偶然セマナサンタの時期でした。(いまやこれも偶然ではなかったと思っていますが)
その後、スペインに住むようになり、よりぐっと身近になったセマナサンタは、
私が住んでいた南スペインの村では、
イエスの復活よりも
磔刑までの行程(イエスのパッション/受難)に
重点が置かれていることが一目瞭然でした。
ですから、
英語圏の国のようにこのお祭りを「復活祭」と呼ぶには違和感がありました。
 
ところが。
去年のセマナサンタの毎年公的機関より発刊される冊子の表紙が、
この村で圧倒的な人気を誇る「ナザレーノ」と呼ばれる金曜日に運ばれるお神輿ではなく、
最終日曜日の復活の場面のキリスト像のお神輿のイメージであったこと。
これにはちょっと驚きました。
イエス復活の場面のお神輿に手が加わりより愛が深まっていました。
キリスト教世界のみならず、可視不可視すべての世の変化と
はからずも連動しているかのように感じられる出来事でした。
 
宗教というものによって意図的に分断されてきたものを取り払い
よりピュアな目で見てみると、いま世界で何が起きているのか、
今年のセマナサンタからも見えてくるかもしれません。
 
一昨日、スペインの友人から今年のセマナサンタの実況動画と写真が送られてきました。
ちょうどイエスがロバに乗ってエルサレムに到着する場面です。
今日は火曜日で、
イエスの死の予告をイメージしたスピリチュアルなお神輿が担がれる日です。
この一週間、スペインの友人からの報告でまたなにか感じ取れるところがあったら、おぼえがきするかもしれません。
 
セマナサンタの基本情報の一助として
2004年スペイン在住時のセマナサンタの記録を貼っておきます。
http://majo.moo.jp/foto/reportaje/04samanasanta/04samanasanta.html
2004年当時の私の、ほんとうにつたないながらも初々しい受け止めが、
今読むと恥ずかしくもあり・・の内容で、
認識不足などお見苦しい点も多々あるかと思いますが、
あえてその臨場感のままに貼っておきます。
近年は世界線で世の動向を見てきた視点から、
日本にこれが関係がないとは
もはや言えなくなっている感が自分の内にあります。
 
セマナサンタの始まる前には、
徹底的に家の中を掃除し、
町の通路という通路がお香で村中が浄められます。
とくに四つ辻は「サエタ」という神にささげる即興の歌
(神へのこの一年間の報告のような内容)がうたわれるので
特別な場所になります。
 
そしていよいよ最初の日曜日
(毎年満月から逆算するので日程がずれます。
今年は先週末の日曜日スタートです)
この田舎の陶芸の村が丸ごとぎゅいんと宇宙船にでも変容したかのような浮遊感覚。
これは何度もこの村で経験していますが、
異空間にいるような・・いつも必ずそうなります。
不思議な感覚です。
しかも私だけでなく村の人々も同じ感覚を共有しており、
幽玄世界のなかで共通意識を持てたのも
このセマナサンタが私の経験の中で初めてのことでした。
上記リンク先の最終日の記事にも書いていますが、
大地の鎮魂、やはりこれは大地との繋がりのお祭りであることが、
当時の実況からもうかがえます。
大地と深く繋がり
(最大のもので約1トン近いお神輿を皆で担いで最長9時間すり足で町中を巡る)
大地とより深くつながることで『超える』。
もとこのスペインの村の住民の私が言いますが、
一年かけてこの聖なる一週間/セマナサンタを
皆でこつこつ準備して、満を持して迎える、といっても過言ではありません。
スペイン各地の多くで失われてしまったこの伝統習慣が
この村では残っていました。稀有なことです。
たまたま陶芸を仕事としていたから、私はこの村に住むことができましたし、
信者でも何でもないのに、
このお祭りに聖歌隊のメンバーとして参加させていただきました。
こういった経験をさせてくださった
不思議なご縁とサポートに感謝しかありません。この村でうたうことは、私の感謝の印でした。
 
今年もいま現在この大切な生まれ変わりの一週間のただなかにいます。
私のスペインの故郷の友人の一人は今エルサレムにいます。
思い様々巡ります。
 
 

海さんぽ

庭の梅の実がだんだん膨らんできました。
今年はジャスミンの花ももう咲き始めていて、
植物たちの季節感が早く進んでいる印象です。

わたしの小さな畑も可愛くなってきました。

君、花があったんだね?
うちに来て3年目、初めて花をつける植物だと知りました。
こうしてアップでみているとずいぶんシステマチックで
やはり植物も宇宙からやって来たように感じます。

山桜より一足おそく咲き始めた海の際の桜たちも散り始めました。