魂の移行

陶芸の文化交流でスペインに滞在していた間、
なんとも不思議な縁で全くキリスト教信者でもない私が
町の各教会の大切なミサの際に歌わせてもらう聖歌隊に入っていたことがあり、
そういった環境では、スペインの人たちから日本の宗教のことを聞かれる機会も多かった。
 
私が答えられることは少なくて、
日本の国教には仏教と神道があると答えると『どう違うの?』と聞かれるので、
仏教はインドが源のもので中国経由で入って来ていて、
神道は日本の土着のものと結び付いたもの、と答えていた。
すると100%の確率で
『じゃあ神道のはなしが聞きたい』と言われました。
 
その時の私は神道について話せるようなことがほとんどなくて
お正月にみんな神社に行くことくらいしか思い付きませんでした。
 
他にも『なぜ日本人は箸で食べるの?』だとか、
『なぜ毎日湯船に入るの?』だとか、
日本人には当たり前すぎることも
明確に答えることができませんでした。
(後に古事記等からその答えも導き出せるのですが)

そういったことをきっかけに、
日本のことを何も知らない自分に愕然とし、本心から学びたいと思ったのでした。
 
丁度同じ頃、サンティアゴの巡礼道(通称カミーノ)を歩いたことをきっかけに、
古神道の修道士の方との出会いがありました。
その方は富士山の懐の神社の宮司さんのもとで平田篤胤系統の古神道の学びをされているかたで
当時私が知りたいと思っていた神道のことをたくさん学んでおられていて
おかげさまで私もさまざまな見解を広めることができました。
 
平田篤胤系統からの学びでしたので、当初は江戸末期から明治の頃にかかれれた古書を自分でも色々探して出来る限り手に入れて読みました。
 
そのなかで、
神道で忌みごととされていることが、
誕生と死に関わることに多いということがわかりました。
忌みごとと言うとその当時は、なにかよくないこと、避けるべきことととらえていましたが、
近年になってから、
この時期に私が学んでいた古神道が
すべて真逆のことを伝えているということに気きました。
そうやって遠ざけて
隠されていた(ある意味では守られていた)のだとわかりました。
 
この系統で守られてきた古神道の持つひとつのシステムのようなものが紐解ければ
あとのことも、
このシステムに当てはめて
書かれたことを見て行けば
隠されていた視点も反転し、
現実と照らし合わせて見えてくるものがクリアに成ります。
この系統の古神道を継いだ末裔のかたが、
『私が伝えることも含めて全てまずは疑ってかかるように。』と
本に書きのこされた意味もよくわかりました。
 
そうしてクリアになったところで、
数年前のおぼえがきにも記しましたが、
私は古神道を手放しました。
(何かの派に入っていたわけではなくもともと独学でしたので、自らの内で手放したという意味です)
 
 
忌みごとに話を戻します。
誕生と死とは、魂の移行のことをさします。
「ここ」を忌みごととすれば人は
「ここ」になるべく触れないようにします。
本当は、この地球に生まれてきたことの意味も含めて「ここ」一番大切な関わり深いことなのです。
 
平易に例えれば、
「代替医療」と呼ばれるものが、
そもそもの本質的な治療法であるにも関わらず、
近代医療が「代替医療」とレッテルを貼って
本質的な治療から遠ざけることと似ています。
何を信じるかは一人一人に任されているはずなのですが。
ですから、
有名だからだとか、
多くの人がよいと言うからだとか、
政府が認めているからだとか、
何かの資格があるからだとか、
そういったことを主軸にしていると本質からどんどんずれていきます。
そういったトラップを人の歴史は繰り返していますよね。
この世の中で
たよりに成るのは
なにかうっすら『変だな』と感じる直感しかありません。
直感にたよってどんどん生き方を進めていくと
繋がる所が変わって行きます。
より本質的に、
より軽やかに、です。
 
魂の移行については古代のひとたちのほうがよほどよくわかっていたと思います。
遠ざけられたのには理由があるのでしょう。
 
 
正直に書くと、
私はもう地球が丸いということも疑っています。
視点を移せば、地球が丸くないということを実地で検証した人たちが、沢山居るということを知りました。
視点がそこに向いてなかったのでそれを知らなかっただけでした。
 
そうやって自分で可視不可視の視点から調べて実地で検証してみたり、実際に魂の世界に繋がってみたりするようになって、最終的にたどり着いた結論は、
今できること、魂に叶うことをすること。
そのために今地球に来ていること。
幸せであること。
これに尽きました。
そしてそれをただやればいいだけ。
 
高校生の頃にはまって読んだ
シャーロック・ホームズのシリーズのなかで、
ホームズが地動説を知らないことに対してワトソンが仰天して、
『これは常識だから』とホームズに天動説と地動説の違いを教える場面があるのですが、
それを教わった直後にホームズは、
『今教わったことはすぐ全て忘れよう。私が関わっていることに関係ないから』
というのですが、
とても印象深く心に残っています。
 
「教育」というものに疑問をもつと、
地球が丸い写真はNASAがそういってるだけのことだと言う当たり前の事実も妙に感じます。
 
けれどそれが嘘にしても
本当にしても
例えば、
『実は地球はフラットアースでした』と言われたところで、
私が美味しい湧き水のお社にお参りさせていただいたり、
農園さんの畑で癒されながら自然のお野菜をいただいたり、
海や山に歌うことの喜びとわくわくには
なんにも関係がないこと
私が地球に生まれて
今やっている本質には
やはりなんにも関係がないことなんです。
そこに他からの支配は届かない。
 
本質からずれなければ、
つまり自分軸で生きているかぎり、
どこの誰だかわからない人たちが作ったシステムや、
そとからの情報がいかに変わろうと、何も起きません。
 
新しい地球。
一人一人が粒だった細胞となる。
まずはそれ。
それから
共同創造する。
新しい地球とはこういうこと。
 
新しい地球ではもうグラウンディングする場所(階層)も変わりました。
先月でしたか、
急遽お声がけさせて頂いた遠隔ワークには、
とても短い時間の告知だったのにも関わらず10数名のかたが一氣にお集まりになり、エネルギーをお渡ししましたが、
その時のメッセージは
『自分の本名を中心にしっかり置く』と言うことでした。
これは新しい地球でのグラウンディングなのだと私は思います。
 
全てが変化して行くなかで
唯一グラウンディングの主軸に成るものは自分の本名しかないと。
自分の本名の響き、と言えば良いでしょうか。
今時期の苦しかったり大変だったりする時に改めてしっかりと
自分の本名のフルネームを中心軸に置いてください。
なにか苦しいときのまことのことばとして
私もこの間おぼえがきにも書きましたが、胃腸痛から始まった体調を大きくくずした一晩のとき、
あのとき高熱のなか自分の本名を必死で何度も心に浮かべて中心に置くようにイメージしていました。
すると気持ちがふっと軽くなりました。
心身繋がっていますから。
 
本名はこの三次元地球に生まれてきたひとりひとりへの最大の贈り物。
最大の力を発揮してくれる言霊です。
昔の人はこういったことも良くわかっていましたよね。
どうぞ軸を他に置かずに
しっかりと本名の置き場所を自分の内に作ってください。
今を生きるあなたへの心強い最大のプレゼントですから。
 
魂の移行の時期にあって。